2018年2月26日月曜日

いじめという名の殺人

先日「アンナチュラル」というドラマでいじめ自殺について放送していた。
法医学者が、高校生男子の死因について
『法医学的見解では自殺、しかし個人的見解としては殺された、いじめという名の殺人、犯罪だ』と言っていた。

まさにいじめによる自殺は、
自分で死にたくて死んだわけでなく、追い詰められて殺されたのである。

いじめをした人たちは、いじめたことをたいしたことと思っていない。いじめられた人の痛みや苦しみをまったく感じてない。
いじめられた人が死んでも、自分たちのしたことを忘れて行く。
いじめられた人が死んでも、日常生活を送って行く。
大学に行き、就職して、家庭を持ち、子どもができる。
同じ未来があったはずの高校生がいたのに、その子は未来も命も奪われ、死んだ子は忘れ去られて行く。
学校は『君たちのせいではないよ』『早く忘れなさい』『1日も早く日常生活に戻れるようにしなさい』そういじめた生徒にも傍観者だった生徒にも言うのだ。
そうして未成年者はいじめという殺人、犯罪をしても、学校組織大人に守られて行くのだ。

いじめという言葉はなまぬるい。
いじめは犯罪、人が死んだら殺人だ。未成年者だからと言って、許されていいわけがない。

いじめをした君たちへ、
君たちは、自分のした行為を忘れ、命を落とした僕のことを忘れ、大学に行き、就職して、家庭を持ち、子どもができて、なにもなかったかのように日常生活を送っていくだろう。
しかし、僕と僕の家族は決して君たちのしたことを忘れない。
君たちのせいで、僕の命と未来が喪われたことを決して忘れない。




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