2018年9月27日木曜日

僕の命が喪われて9月27日で3年。最後の苦渋の決断。

僕の命が喪われて9月27日で3年。
同級生も加害生徒も卒業して大学生になって僕のことは忘れているだろう。
学校の担任(3年まで担任を続け今年4月に別の都立校に異動)も校長(校長だけはまだ異動していない)も当時の副校長(事件の1年半後に別の都立校に異動)も都教委からも、3年の命日を前にしても遺族への連絡は一切ない。
学校では僕の命が喪われたことは追悼もされず、在校生に説明もなく、学校のいじめが原因で自殺したことも、なかったことにされている。
僕の家族はずっと学校で何があったか教えてほしい、学校や教育委員会や調査委員会で調査した、基礎資料書類の開示をしてほしいと要望交渉を続けてきた。しかし、3年も経つのに学校も都教委も誠実に遺族に向き合うことをせず、昨年9月に調査報告書が出ても開示を一切していないし、「学校対応の不備があった」ことも説明回答謝罪も一切していない。
僕の命が喪われて3年経つのに一歩も進んでいないことに愕然とする。3年の命日を前にして、学校でなかったことにされている僕の人権と名誉を回復するために、僕の家族は最後の苦渋の決断をした。
僕はもっと生きていたかった、決して死にたくなかった、生きて自分の進路夢を実現したかった。僕は追い詰められて命と未来を奪われた。僕は毎日学校に通って土日も部活に行っていて、学校での悩みをSOSを担任に発信していた。それなのに、その僕の命が喪われたのに、学校が100%責任がないなどと言うことはあり得ない。


知事の再調査が10ヶ月かかりやっと決まった。

1年8ヶ月かかって昨年9月に調査部会の報告書が出たが、いじめの定義に反し、本人の心身の苦痛を否定した内容だった。
「学校対応に不備はあった」と書いてあったが、報告書が出ても学校も都教委も遺族に一切説明回答も謝罪もしていない。
遺族は初めからずっと調査した基礎資料書類を見せてほしいと要望交渉してきたが、報告書が出た後も一切遺族に開示していない。
昨年9月22日に遺族は都知事に再調査を要請した。知事部局は外部の大学教授と弁護士を選んで【再調査するかどうかの検証チーム】を立ち上げ、20回も会議をして、今年7月19日にやっと再調査することを決めた。10ヶ月も時間を費やされた。同級生も加害生徒も卒業してしまった。「調査部会(都教委)の調査は遺族との信頼関係が築けていなかったため十分尽くされていない」として知事の再調査が決まった。
時間はかかったが調査部会(都教委)の調査は不十分であるということが証明されたことだけはよかった。
9月25日号の週刊女性に記事が載った。