2017年3月31日金曜日

僕の命が喪われて1年6ケ月

僕の命が喪われて1年6ケ月。
調査委員会が立ち上がって1年2ヶ月が経った。
調査委員会は3月末に報告書を出すと言っていたが、
3月末に報告書は出ないことになった。

青い薔薇のTwitter
 
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開示請求した書類は全面黒塗り

2016年2月に開示請求した都立小山台高校と東京都教育委員会などの書類は5月にやっと出てきたが、全面黒塗りだった。
7月に不服申し立てをしたが11月になっても教育委員会からの回答は11月になっても何もなかった。11月末に申し入れに行くと前日に対処しましたと言われた。教育委員会は申し入れに行く連絡を聞いて慌てて対処した。
本人に関する書類なのに見せられないのはおかしい。
文部科学省のHPにも書いてある『知る権利』を侵害している。

 
 
 
※現在東京都で豊洲市場移転の問題での書類も黒塗りになっている。
 

東京都教育委員会いじめ問題対策委員会調査部会

2016年1月25日調査委員会が立ち上がった。
2015年9月27日に僕の命が喪われてから4ヶ月が経っていた。
正式名称は『東京都教育委員会いじめ問題対策委員会調査部会』
教育委員会いじめ対策委員会と第1回調査部会が開かれた。
僕の家族は都庁で記者会見をして大勢の報道陣の前で話しをしたんだ。テレビ新聞ネットに広く報道された。
でも校長は一度も報道陣の前に出て会見したり表明したりしてないんだよ。
おかしいよね。

僕の命が喪われたあとの担任とクラスのこと

2015年9月27日に僕の命が喪われてから
担任がクラスでしたこと。 クラスであったこと。
クラスでは2ケ月で僕の机を片付けた。
僕の机にお菓子を置いてくれた子がいたのに、
担任は僕の家族には知らせないで、
僕はキリスト教の教会で葬儀をしたのを知っていて、
近所のお寺に持って行った。
担任は僕のことはクラスでは話題にも出していない。
9月27日に僕に命が喪われてから、
11月にはクラスレクをしている。
2月には担任の誕生日会をしている。
3月にはクラスの打ち上げをしてバカ騒ぎをしている。
担任は僕の家にも来ないし僕の家族に手紙も電話もしない。
同じクラスの僕の命が喪われて半年も経っていないのに、
担任もクラスのみんなも楽しんでいる。
僕をいなかったかのように扱っている。
僕は初めから小山台高校に存在していなかったような扱いだ。


 

 

12月25日のクリスマスライブのこと

2015年12月25日に僕も出るはずだった弦楽班のクリスマスライブを見せてほしいと僕の家族は校長にお願いした。
校長は見せられないと言った。
僕の家族は僕も出るはずだったライブなのだから見せてほしいと校長に何度もお願いをした。
クリスマスライブ前日の12月24日のクリスマスイブに校長から僕の家族に電話があった。『生徒には接触しないこと、ホールの真上の2階の被服室の窓にはカーテンがかかっているので、カーテンの隙間から生徒に気づかれないように観ると約束するならよい』と校長は言った。
校長は僕の家族が他の生徒と接触することを禁止した。
僕の家族がライブを観ている間ずっと副校長は側にいて僕の家族を監視していた。
それでも僕の家族は僕が出るはずだったライブを観に行ってくれた。

 

10月30日の校長と副校長の言葉

僕の命が喪われてから初めて
僕の家族が2015年10月30日に学校へ行った。
校長は『命が喪われた直後に調査をすればよかったです。これは校長である私の判断ミスです。』

『小山台高校の90年の歴史で今までいじめなんて聞いたことがない。』
『生きている生徒が1日でも早く日常生活に戻れるように生きている生徒の心のケアを一生懸命にやっています。』と言った。
副校長は『彼(僕)の性格からして、こうして調査などして大事(おおごと)にする事は、彼(僕)の本意ではないのではないですか?』って言った。

副校長が僕の性格の何を知っているのか?
調査なんてしない方がいいですよって、僕のせいにしたんだ。



僕の命が喪われた9月27日当日の担任と副校長の言葉

僕の命が喪われた2015年9月27日当日に、
担任は学校で直前に僕に異変があった事実を、
初めて僕の家族に伝えた。
僕が生きている時に家族に伝えてほしかった。
副校長は、気が動転して泣き崩れている僕の家族に言った。
『小山台高校の生徒はみんないい子で優しい、
学校でいじめなんて聞いたことがない。』って。
なんでわざわざそんなことを言うんだろう。